てらだ農園さん

小野芋の作業終了後、「ちょっと見ていく?」と

「てらだ農園」の寺田さんが案内してくれました。

もとは出石の在来種と思われる「七夕豆」を作ら

れています。府市場から頂いた種も、いろいろな

つながりで私から寺田さんにお渡ししていました。



保存会の農園がある出石町口小野から山に向かい



5分ほど、奥小野に。着いてびっくり、山がすっぽり

削り取られ開墾、山頂に平らな畑が広がっていました。



「あの山の向こうが久美浜、あの山の向こうが但東町」。



畑の両サイド、山の尾根、谷間に棚田が続きます。



お米を中心に、野菜いろいろ、在来種の納豆、切干

大根などの加工品、保存食なども手がける篤農家さん。

ここはお父様が残された畑の一つで、もとは採種圃場

でもあったよう、つまり昔は種採農家さん(種屋さんから

の委託で種を生産する)でもあったようで、このような

農家さんが丹後や網野のほうにも多くおられたらしい。

他の品種との交雑を防ぐ、人里から離れた山谷、この

ような場所で「国産」の種が守られていたわけです。



イタリアのナス、ローザビアンカ(ガンピーさんより)。



コンニャク芋、自家製のコンニャク作りもされている。



里芋は2種、こちらは唐芋。



ラッカセイ。他にも、ごぼう、かぼちゃ、トマト、麦、

サツマイモ4種、枝豆・・・いろいろありました。



そして七夕豆、とっても順調に育っています。



八百屋さん、料理屋さん、直売所?楽しみです。

中村さんの小野芋(18)



今年はなかなか参加できず初参加。



この暑さでもとても順調のようです。



早朝から皆さんと芽かき、草取り作業です。



収穫までに水害、イノシシの害がなければ、

今年はたくさん収穫できそうです!料理屋さん、

直売所など、皆さんにもお楽しみ頂けるので

ないかと思います。またご案内します!

保存会の記事

 【神戸新聞】2012年7月30日



※拡大できます

立野ねぎ

  ジーオインターネット放送局さんの

「種とり人から種とり人へ」で豊岡「立野ねぎ」が放送されています。

・第45回 「立野ねぎ 生産者 野崎靖雄さん」

赤崎ねぎ(3)

 ジーオインターネット放送局さんの

「種とり人から種とり人へ」吉谷さん放送されています。

第44回 「赤ねぎ 生産者 吉谷俊郎さん」

大美濃柿(11)

ジーオインターネット放送局さんの

「種とり人から種とり人へ」神鍋の吊るし柿が放送されています。

第43回 「神鍋つるし柿 神鍋つるし柿生産組合 北村さん」

中村さんの小野芋(17)

ジーオインターネット放送局さんの

「種とり人から種とり人へ」小野芋が放送されています。

第42回 「在来種 小野芋収穫祭 小野芋保存会」

中村さんの小野芋(16)

【神戸新聞】2012年5月1日

江頭先生の講演会

「平家かぶら」の見学後、みなさんは村岡方面に宿泊。

「美方わさび」のお話、見学(私は行けず5月に予定)、

翌日、ワサビ田へ。先生は今回で2回目のご来園です。



うちの原種とも言える50年前のワサビのホルマリン漬、

花ざかりのワサビ田などご案内、変化、工夫してますね

とうれしいお言葉、アドバイスもいろいろ頂きました。

神鍋高原で昼食後、「日高農村環境センター」へ移動し、

アル・ケッチァーノの奥田シェフと二人三脚の山形大学、

江頭先生の講演会」。奥田シェフは以前に豊岡にも来られ

たり、豊岡のシェフが山形に行かれたり、そこから私もいろ

いろなご縁を頂きました。お二人は共に山形の在来作物の

発掘普及活動に関わってこられ、大学、料理店、生産者が

三位一体で在来作物を蘇えらせ、その取り組みが地域作り

として全国が羨むモデルケースとなっています。



毎年発行されている山形在来作物研究会さんの会報誌。

研究会の著書「どこかの畑の片すみで」「おしゃべりな畑」

現地ツアー、フォーラムの開催など、全国から多くの人が

「食の都、庄内」を訪れ、国内でも有数の活動をされています。

それまでの伝統作物の定義にこだわらず、新たに「ある地域

で、世代を越えて、栽培者によって種や苗の保存が続けられ、

特定の用途に供されてきた作物の品種、系統をその地域の

在来作物という」とゆるやかに定義、山形では160品目もの

作物があげられています。今でこそ「在来作物」は関心を

集めていますが、江頭先生はその第一人者でもあります。



会場はほぼ予定人数、たくさんの方にお集まり頂きました。

なぜ在来作物なのか、そのきっかけ、これからの可能性、

経験に基づいた具体的なお話し、先生の思いがそのまま

伝えられ、とても感動しました。講義内容はまるで違いま

すが、私も農学部、学生時代に戻った気分でした。

本日のテーマは、「在来作物の取り組みをふりかえって」、

配られた資料、「話題」ごとにレポートにして記録します。

1.問題意識

京都大学でイネの育種、山形大学でトマトのバイオテクノ

ロジー、育種の原点とは何か、文明の進化、科学技術への

疑問、人間の能力、大切なものも失われていくのでは?

2.青葉先生と川喜多先生

バブル全盛、はじける頃、青葉 高先生の著書に出合う。

『北国の野菜風土誌(1976)』。味、歴史、文化、知恵、

自然、地域そのものを伝えている、「在来作物は生きた

文化財」、その言葉に感銘。川喜田二郎氏にも出合う。

氏の著書、『創造と伝統―人間の深奥と民主主義の根元

を探る(1993)』
 。今までは「書斎科学」、「実験科学」、

そこには「野外科学」という概念がすっぽりと抜けている。

己を無にして現場から仮説を組み立てる力が大切だと

気付かされる。研究室を出ると庄内平野、そこで「ここに

しかない野菜」を目の当たりにする。知恵や情熱によって

生き延びてきた地域の在来作物が大量生産、大量消費、

流通と利益最優先など、近代の農業の規格大量生産の

時代の波に飲み込まれ年々急速になくなりつつあり、見捨

てられようとしている。自分は何ができるのか。地に足が

着いた仕事、世代から世代へ伝えられるもの、市民パワー、

もう一度目を向け何かを見出していこうと、2000年、地域、

農家を自らの足で回り、発掘調査を開始し、在来作物の

研究者へ転身される。

3.奥田シェフとの出合い

同じ2000年、奥田シェフも「アル・ケッチァーノ」をオープン。

オープンまでのいきさつ、いろいろなエピソードも。在来作物は

やんちゃな野菜、自然児、味は個性的、奥田シェフはそれを

飽きるまで食べる、次に何が食べたいか、その食材と組み合

わせる、ソースでカバーしたり、ネガティブな味を消すのではなく、

農家が誇りを持って守ってきた独特の味や特性を生かすことで、

ここにしかない料理が生まれている。奥田シェフによる在来作物

の料理は若い世代にも、驚きと関心を持って迎えられる。

4.コミュニティ雑誌の連載



コミュニティ雑誌「庄内小僧」、ここからから奥田シェフとの

二人三脚がスタートした。なぜ農家は種を守ってきたのか、

伝えることが使命だと、2003年から毎月1回、農家を回り

連載が始まる。農家訪問、先生の解説、定番の郷土料理だけ

でなく、シェフの新しい料理が披露されていった。ほとんどの

農家は、おいしいから、子供の頃からの味だから、家族や

孫に食べさせたい、先祖代々の種を絶やしたくないからと、

換金作物、お金のためだけではないと知る。連載最後には、

在来作物は、幸せとは何かを考えさせてくれる存在であり、

「地域を幸せにしたい」と綴られている。

5.マスコミ地獄

取り組みが注目され、有名なテレビ番組や雑誌など各種

メディアにより、「アル・ケッチァーノ」、 「山形在来作物」が

全国へ。当初は反響の大きさから電話が殺到、マスコミ

地獄へ。おもしろおかしくエピソード、ご苦労もあったよう

ですが元のペースへ。学んだことも多かったとのこと。

6、在来作物の魅力





市場に出してもお金にならない野菜を地域でどう守るのか。

例えば「宝谷カブ」。後継者不足。伝統的な焼畑を復活させて

話題を呼び、地元有志が「宝谷蕪主の会」を立ち上げた。

“蕪主”は一般的な株主と違い配当金ではなく、収穫されたカブ

が分配され、カブの料理が味わえる。シェフの料理など、多くの

レシピもできた。毎年、全国からカブを目当てに人が集まった。

そのかいあって今では後継者ができて会は解散する。

焼畑から山の話題へ。江頭先生は焼畑の研究者でもあり、

伝統的な焼畑の良さも伝えられている。木のミネラルが山に還り、

山も作物も健康、しかし、伐採跡地がないと焼畑はできない。

つまり外材の輸入、林業の衰退問題、伐っても売れない、

東北では50〜70年かかり伐り頃を迎える。自分の世代では

伐れない、伐り頃であるおじいちゃんの木が伐れない。

つながらない。ブナ枯れも。30年生のナラをちゃんと伐って

薪炭にする必要がある。神鍋なら焼畑ができるかもしれない

が但馬は山の狭く勾配がきつい、いろいろな規制、問題は

あるが、焼畑文化も残していくべきと、皆さんからもいろいろな

ご意見がありました。

小学校などの教育現場にも在来作物が広がっている。授業の

ブログラムにもなっている。作って、食べて、自然、歴史、文化、

地域をまるごと学ぶ、まさに総合学習。家に持ち帰ると、おじい

ちゃん、おばあちゃんが昔を懐かしみ、喜び、若夫婦も興味を

持ち作り始める。ここ20、30年、地域の知恵や文化は急速に

失われている。地域、家族、世代間が繋がる、そんなきっかけも

種にあり、種もまた継がれていく。

7、地域が元気になった!

どこにでもある地方ならではの問題が山形にもあった、「地域

を元気にしたい」、ここにしかないもの、在来作物が何か近道に

なるのではと。在来作物は世界にひとつ、それを求めて全国から

人が訪れる、学び系の観光も人気、現場に足を運び、料理を

食べる、観光業にも生かされているなどまだまだ可能性がある。

地元の人が誇りに思えるもの、それを楽しく利用する、物語を

作ることで、人が自然に集まってくる。結果的にお金も循環して、

後継者もでき、種も守られる、何よりも地域が元気になった。

在来作物は売っても安いが、人が集まってくる魅力を持っている。

参加者の皆さんからも、農家、種にスポットを当てることが大事、

但馬には種、食、そして「人」、奥行き、魅力がまだまだ隠されて



いるとのこと(但馬人としては嬉しい限り)。結局は但馬の人の表情を

見に来ていると山根さんも。「外」から与えられるヒントにどこまで反応

できるか。とても学び多く、素晴らしいお話しでした。2日間にわたり、

山形から本当にありがとうございました。

平家かぶら(6)

4月6日、ひょうごの在来種保存会、山形大学、山形在来作

物研究会
江頭先生をお迎えして、春の平家カブラを見学。

花の咲くタイミング難しく、今年は遅い、まだ咲き始め。今日も

みぞれ交じりの天気でしたが、姫路、但馬から15名の参加。

豊岡から車で約40分、バイパスを降りて餘部鉄橋からすぐ、

細い山道をくねくねと海岸方向に進むと「平家の里」に到着。



この地の語り部でもある岡辻増雄さんのお蕎麦やさん。

★香美町香住区余部2980 ☎0796−34−0100

兵庫県北西部の日本海、海岸まで山が迫ってほぼ断崖。

余部の御崎地区、今から800年前、壇ノ浦で敗れた平家の

落人が逃れて上陸、住み着いたといわれる伝説の地、土地に

自生していたカブを食べて飢えをしのいだと伝えられています。

それ以来、自生カブは平家カブラと呼ばれるように。このような

平家落人伝説のある地に、同じ呼び名の自生「平家カブラ」は、

宮崎県など各地で伝えられています。まさに生きる文化財。



店から歩いて上がってすぐの公民館でお話を伺いました。



集落で2番目の長老、90近い、と言われるがとても見えない。

平家カブラの歴史はこの地区の歴史でもある、と岡辻さんの話は

始まった。壇ノ浦の戦いに敗れた武将らは船に乗り込み、九州、

西からの季節風にあおられ、逃れるように海岸沿い、日本海を命から

がら漂流、90日飲まず食わずでこの地に上陸。土地のお坊さん?が

「小麦の蒸し物」を差し出し、「どこに行っても同じ、ここに落ち着き

なさい」と悟す。3月の源平合戦から3カ月後の6月だった。6月5日は

集落のてっぺんにある、平家の先祖を祀った神社、平内神社のお祭りの日。

毎年1月28日に行われる、武将らの訓練であり、弓の鍛錬に端を発する

「百手の儀式」も平家ゆかりの行事。「百」は繰り返し矢を放って訓練

したことから。平家一族の住み着いた御崎地区には平家にゆかりの姓が

多い。生活の糧として目に付いたのが、青々とした葉っぱ、草、この地に

昔から自生するカブだった。日本へは弥生時代に渡来したと言わるカブ、

原種型に近い品種で、いつどこからこの地にやってきたのかわからないが

相当古いことは確かのようです。



地の特徴から田は少なく、雑木伐り、山を開いて8月に火入れ

をする、焼畑も昭和初期まで行われ、岡辻さんも経験されている。

ソバ、アズキ、アワ、小麦、サツマイモ、大根、蔵は米蔵ではなく

雑穀蔵と呼ばれていた。夕食は必ず蕎麦、蕎麦は主食だった。

学校から帰るとすぐに夕食の準備、石臼を回した。昔はまず先に

「食」だった。そして遊び、勉強。この地には在来の蕎麦も残る。

子供の頃を思い出し平成2年に家族で蕎麦屋を開業。昔から

家に伝わる蕎麦、平家カブラなどを使った郷土料理を出される。

花の咲く3〜4月は観光スポットになり、全国から人が集まり、

岡辻さんから「地域」が語られ、伝えられています。



公民館からの絶景。切り立った崖の上にある御崎地区。

山陰海岸が一望、晴れた日は丹後半島まで見えるそう。

海面からの高さが日本一高い場所にある余部埼灯台も近い。



お店に戻り昼食をいただく、お店の雰囲気も良い感じ。



村の行事にちなんだ「百手そば」。石臼、手打ちされた蕎麦、



そして平家カブラの浅漬け。ほろ苦く柔らかく美味しい。

御崎地区では、戦時中の食糧難時代ばかりではなく、

現在も郷土の味として食べられている。冬は雪が深く、

青いものがないので、冬から春にかけて手に入るカブラ、

主に若い葉や茎を利用。お浸しにしたり煮物にしたり、

じゃがいもと煮付けにもされる。カブも浅漬けなどにする。

帰省した人も、これを食べないと故郷に帰った気がしない、

特別な味とのこと。カレイの煮付け、山菜の天ぷらなど、

料理がこんなに出てきて、えっ!この値段って感じです。



昼食後、お店、ご自宅の裏手から平家カブラの自生地に。





行く途中、畑の隅や土手のあちこちに生えていました。







自生群生地は荒れた耕地になっていて、岬の突端、傾斜地、

足場が悪いから行くのは厳しいですよと、岡辻さんが遠くを



指さされ、大丈夫、せっかくだからと、山根さん、江頭先生らは

自生地へと向かわれた。鮮やかな緑、咲き始めた花が遠くから

でも確認できました。昔はこの辺りでも焼畑が行われていた。



焼畑をしてもそこから自然にカブラが生えてくることから、

平家カブラは「まかぬ種が生える」、不思議な種とも言われ、

種苗会社、普及所、各地の大学などからも調査に来て、



彼らに種を渡したが、同じものはできなかったとのこと。

江頭先生は焼畑の専門家でもあり、その話題も尽きず、

とても貴重な話が聞けたとも、言われていました。

『焼畑の環境学 いま焼畑とは』 2011
      


岡辻さんの山椒畑。御崎の葉山椒(木の芽)も有名です。

海に面した日当たりの良い急斜面を利用して、1960年頃

から栽培が始まり、一帯に山椒畑が広がっています。京阪神

の市場に出荷されています。御崎地区では代々、生業として

男たちは漁師、お年寄りらは山椒を栽培してきたとのこと。



海風が作る海山椒。トゲが多いから香りが良い、改良された

トゲなしの品種もここに来ればトゲが出る。身を守るために

トゲを出すのか。痛そうだが女性は器用、収穫も手際良い。



今年は遅れているが、間もなく収穫時期に。家族や親戚が

総出で短期間に行われます。出荷用の木箱の準備も行われ、

スギの香りも漂っていました。出荷の時は水を含ませて鮮度を

保つとのこと。昔はワサビの出荷も手作りの木箱でした。



地域の歴史には不明なこともあるが、地域の人が信じて



いることが全て、それを言い伝えていくことが大切、若い

人達に語り続けていくことが年長者の使命とのことでした。

兵庫県のHP ・香美町のHP

『日本の野菜』 青葉 高(著) 1993

『地方大全』 タキイ種苗(編) 2002