神鍋火山岩(36)

◆わさび田 「稲葉川から石を採る」

息子たちの遊びの一つに「石あつめ」があります。



収穫後の空いた場所、たくさんの「小石」のなか

から(種類、色、形、大きさ、重さ、とにかくい

ろいろ)、珍しいというか、気に入った石を見つ

けて、集める遊びです。この遊びからわかったこ



とがあり、よく見ると角がとれた「丸石」ばかり

集めていました。ワサビ田の小石は、石採場から

採って、石割りをして割ったもので、ほとんどが

角ばったゴツゴツした石ですが、何でこんな所に



丸石があるのかと。確かに前から気にはなって

いましたが、子供たちもここでは丸石が珍しい

と思ったようです。何でここにあるのか?と父

に聞いてみると、ワサビ田を囲う小池山のすぐ



向こうに県道が走り、そして溶岩流が流下した

稲葉川があり、なんとその河原の石を採ってワ

サビ田に入れたとのこと。今まで知りませんで



した・・。ずっと昔の話しのようですが、場所は

「十戸滝」の手前辺り、ここは「ムシアゼ淵」と

いう名称で、神鍋溶岩流の見どころの一つになっ



ています。川に転がっている適当な小石を採り、

小池山を越えてワサビ田へ運び、これも大変な

重労働だったと思います。先代はなぜ丸石を採

ろうと思ったのか、真意はわかりませんが、身

近なところから石を採って利用する、「川」も

「石採場」のひとつだったようで、僅かですが



川の丸石が混ざっています。その辺の石と違い、

水に運ばれる途中に削られ、角がとれ、小さく、

丸く、平べったく、また、大地の広範囲から川

に集まってくるので、種類もいろいろです。



上流から流れてきた火山弾や火山礫も、ゴルフ

ボールのように丸くなっています。子供たちの



遊びから思わぬ発見があっておもしろいです。

茶色い輪っかがくっきりと一周模様になった、

こんなおもしろい丸石も見つけていました。

神鍋火山岩(35)

◆わさび田─ 屮献礇採り作業」





土石の丘である石採場かは石を掘り出すたびに、ジャクも



ぼろぼろと落ちて、それをそのまま採ったり、石割をすると

スコリアなどはぼろぼろと砕けて粉状になるので、そのクズ



を採ったり、それらをフルイにかけて小石と選別します。



専用のフルイも残っています。昔は大工仕事(こんなフルイ



を作ったり)はもちろん、石を割ったり、ジャクを採ったり、

こうした石工仕事もやっていたわけです。

神鍋火山岩(34)

◆わさび田А 崟亞篋邏函

「むし石」 「ジャク」などを石採場から採ってどのようにし

たのか。ワサビ田に利用されている石を見ると大きく3つに



分類できます。直径20〜30僂痢崑臉弌廖兵命拭法直径



5冂の「小石」、粉状の「ジャク」です。土石から削って、

掘り出して仕分けをしてそのまま利用できたものもあります



が、適当な大きさでないものは割ってそれぞれの大きさに細か

く割って揃えます。これが「石割作業」です。砕いた際にでる

細かなものはジャクになります。今のような機械や電動工具な

どない時代、玄能によるすべて手作業、とても過酷な仕事だっ



たと容易に想像できます。大きな石は、鑿と「矢」と呼ばれる

クサビ(写真手前)を使い、まず、石の何カ所かに鑿と玄能で



「矢穴」をあけ、そこにクサビを入れて玄能で打ち込んで割り



ました。効率良く割るには、石の割れ目を読む、つまり割れ目

に沿って鑿を入れないとうまく割れない(矢が効かない)との



こと。木とは違って堅い石にクサビを打ち込むので手への衝撃



(跳ね返り)もきつく、逆に穴ぼこだらけで多孔質なスコリア

は力が吸収されてきれいに割れずに粉々に。石によって割り方、



できるものも違います。割った石は写真のような(これは庭

の飛び石ですが)な平らな石の上に置いてさらに玄能で叩い

て「小石」にします。このような作業は石採場で行われ、採

れた小石やジャクは竹で編んだ「籠」などを使ってで運び出

され、ワサビ田に入れていくという作業が繰り返されました。



村の昔話の一つに、石採場、小池山の中から「コンコン」と

石を割る音が村中に響きわたり、キツネの泣き声のように聞



こえたという話が残っています。作業の様子がうかがえる写

真(左は祖父、右は?、奥に竹籠、手に玄能)は残念ながら

ほとんど残されていません。

神鍋火山岩(33)

 ◆わさび田Α 崟从瞭散顱



昔のいろいろな道具がたくさん残されています。ショベル、



ツルハシ、石を割るための玄能や鑿(のみ)など。大きさ



形、種類もいろいろ。玄能の柄にもいろいろな木が使われ

ていて、木質が緻密で固く、丈夫なツバキやグミなどです。



最後は柄が折れて頭だけのものもゴロゴロ。最も重い



玄能は9キロも。道具からも作業の大変さが伝わります。

神鍋火山岩(32)

◆わさび田ァ 屮献礇」

石採場からは「むし石」をはじめいろいろなものを採りま



したが、火山灰、火山砂、スコリア(多孔質なため強度も

弱く、すかすかしていてもろい)など、「土状」「砂状」

のものや砕けた粉状のものも同時に採りました。これをう

ちでは昔から「ジャク」と呼び、石採場はジャク採場とも

呼んでいます。何に使ったのかは後で書きますが、これは

うちだけの?呼び方だと思います。石のことを「ジャク」

とも言うらしく、但馬最古の石は4〜5億年前の「蛇紋岩

(じゃもんがん)」
とありましたが、別名は「温石(おん

じゃく)」らしく、「砂利」が単になまってジャクになっ

たのか、「石」を語源とするジャクなの全くわかりません。

ちなみに養父市の一部に蛇紋岩土壌の地域があり、氷ノ山

の水でこの地域で作られたお米「蛇紋岩米」は有名ですが、

「温石米」としても売られているようです。ちなみに「温

石」とは平安時代末頃から江戸時代にかけて、石を火で焼

いて温めて、真綿や布などでくるみ懐中に入れて胸や腹な

どの暖を取るために用いた道具だったらしく、温める石は

「蛇紋岩」などが好まれたようで、つまり、湯たんぽの代

わりに使用されていたことから名付けられたそうです。石

の呼び方にもいろいろあっておもしろいです。

神鍋火山岩(31)

◆わさび田ぁ 屬爐契弌

ワサビ田、村のあちこちに今も残る昔ながらの石垣など



に使われている神鍋のスコリアや溶岩のことを、昔からこ

の辺りでは「むし石」と呼ばれています。父が呼んでいた

ので知りましたが、これは地元ならではの呼び方?のよう



です。これは「穴ぼこ」だらけのスコリア(噴火で飛び

散ったマグマのしぶきが空中に飛ばされ、冷えて固まり、

急激な圧力の減少によってマグマ中のガスが発泡して抜け、

多数の気泡が生じた多孔質な火山岩、赤っぽいもの、黒っ

ぽいものがありますが、穴ぼこだらけであればスコリアの

ようで、見た目よりも軽いので「軽石」とも呼ぶ)からき



ているようで、この無数に空いている穴が「虫」に食わ

れたように見えるから。ある資料には「蒸し石」とあり、



解釈もいろいろあるみたいです。「苔むした」石垣から、

「生し石」もありかもしれません。

神鍋火山岩(30)

◆わさび田 「わさび田の石採場」

神鍋火山のスコリア層(今は採取禁止)、そして各地に残存

している小規模な「土石流の丘」からは土石が採取され、昔

は埋立などに利用されていました。このような場所は「砂利

採場」「土採場」などと呼ばれていました。ワサビ田の奥に



ある丘は昔から「石採場」と呼ぼれています。ワサビ田の

開墾、拡張、石採り作業は祖父の代まで行われ、父はその

様子を知っていますが、私はもちろん知りません。今は竹



が繁殖して荒れた地になっていますが、いつか整備予定。



土石はこの辺りから丘の上へかけて掘り出され、竹やぶ奥へ



進むと、掘って削られ、採取された跡が、ぽっかりと口を

空けて残っています。暗く洞窟のようでちょっと不気味で、



押し寄せる大きな波のようでもあり今にも崩れそうな感じ。



石採場は横幅が20mほどあり、露頭、断面の状態も様々。





この断面を見ると、専門的にはこれらがどう分類される

のか素人にはよくわかりませんが、火山灰、火山砂、火

山礫など、火山噴出物を主とした土石というか、大地の

あらゆるものを巻き込んでここに止まり、粉状のものか

ら大きな石まで大きさも形も、黒、白、赤と色も、軽い

もの重たいもの重さも、いろいろなものがぐちゃぐちゃ

に詰まって丘を作っています。「石を採る」といっても



単純ではなかったということがわかります。玄能で叩き

崩し、仕分けをし、利用できる適当なサイズに石を割り、

用途に合わせワサビ田に無駄なく利用していたようです。



こんな大きな火山岩も転がっています。露頭から見下ろ



した様子。採って持ち運び出された跡が「道」になって



います。道沿いには積まれた石が石垣になっています。

神鍋火山岩(29)

◆わさび田◆ 嵜洋漏墾」「緻密設計」「天然現象」

火山噴火、大地の成り立ち、そして「古代人」から考えると、

ワサビ田の300年という歴史はあまりにも短いものですが、

火山大地、豊富な湧水、地の利を生かして先祖はワサビを作

ろうと(きっかけは何だったのかなどわかりませんが)、沼



地を切り開き、当時は村の仕事として村人総出、協力のもと

ワサビ田として開墾しました。沼地を囲う土石流の丘「石採

場」
から石や砂を採って、運搬して、砕いて割って用途に合

わせて加工し、多様な「材料」を手に入れ、積み上げ、敷き



詰め、もちろん重機、機械などない時代、すべて人力人手に

よって長い年月をかけてワサビ田を築いていきました。今で

は考えられない非効率な仕事が昔は当たり前だったわけです。



そしてそれは、砂や礫を敷き詰めた3度の地盤傾斜、大きさ

形の違う礫の配置、組み合せ、複雑な水路、通路など、一定

の速度、水量で水を流下させ、ワサビがちゃんと育つように



全体に水を行き渡す、1本1本に水を供給する仕組みであ

り、緻密な設計というか、よくこんなもの作ったなぁと不

思議な感じすらします。もちろんいきなり今の姿になった



わけではなく、栽培しながら長い年月をかけて、ああでもな

いこうでもないと、また石を足し石を動かし、改善しながら、

1919年に今の広さ3反3畝まで拡大します。ワサビ田の



成り立ちなど今となれば想像するしかなく、昔の文献には、

「天然現象に恵まれた山葵沢」とありますが、今の自分に

は全てが天然現象、つまり恩恵でしかありません。という

ことで、ワサビ田は見る限りほぼこの土地の火山岩を利用

することで姿を成しており、「石を採る」ことから築田が

始まりました。次回はそのあたりの話しです。

神鍋火山岩(28)

◆わさび田  崚弔鵑椶世辰拭」

ここからはワサビ田の成り立ちについて細かな記録です。

この土地はもともとどのような場所で、ワサビ田がどの

ように築田されたのか、その成り立ちに関する確かな文

献などは見当たりませんが、父の話やあるものから記録。



「ここは沼地だった」と昔から伝えられています。

溶岩流の話に出てきた「堰止湖」「小池」「沼沢地」

という言葉からも沼地というのはなんとなくイメージ

できますが、約8千年〜1万年前に火山噴火が収まり、

その後に出現した湧水の地を古代人はどのように生活

に利用していたのか、弥生時代になると稲作が始まり、

低湿地周辺に集落がつくられ、地形の遷急線であるこ

の辺りから下方にかけて田んぼが広がっていますが、



専門家の方からも、「ワサビ田はもともと田んぼだっ

たのでは」とのこと。しかし、水源地であるここは水

温が低すぎて、稲の栽培には向いていなかった、田ん

ぼが放置された跡が沼地状になっていたのかもしれま

せん。どちらにしても「水」は生活に欠かせません。

ワサビ田になる前の水辺の空間を「人」はどんなこと

に利用していたのか、想像してみるとおもしろいです。

神鍋火山岩(27)

◆神鍋山の由来諸説

こちらもはじめて手にした、うちの本棚にある書物のひとつ、

『角川日本地名大辞典 (28) 兵庫県』( 角川書店、1988)に、

「山名の由来は、神奈備山によるともいわれる」とあります。

「神奈備」、かんなび・かむなび・かみなび、とも呼び、 神名

備・神南備・神名火・甘南備、とも表記し、神が鎮座する山や

神が隠れ住まう森を意味し(語源にも諸説)、「神奈備山」と

は「神が居ます山」「神が隠る山」という意味。古代の人は自

然、山そのものをご神体として礼拝の対象として信仰し、『万

葉集』『出雲国風土記』でも「カンナビ山」と呼ばれている。

こう呼ばれる山は、人里にある平野、集落に近く、円錐形や笠

状で、あまり高くなく、他にない神秘的な雰囲気を持っている。

「カンナビ」を名称にもつ山、地名、社寺は全国各地にある。

「日高町史」(日高町、1979年)からもそのまま引用・・・

国府平野に立って、眼を西へ注ぐと、こっぽりと丸い大岡山の

山容が飛び込んでくる。南へ眼を転ずると山並の中に、突出し

ている須留岐山が見える。また、神鍋山は、おわんを伏せたよ

うな半球状の山だ。大岡山、須留岐山、神鍋山のこのような山

容は、何かしら人の心をそそるものがあるせいか、古くから神

の山として観じられていたようだ。・・・知られるように、古



くから大岡山は山そのものが神様だと信じられている。古代の

日本人は、風雪や雨や雷など頭上に生起する自然現象に、すべ

て畏敬の目で接し、そこに神の存在を信じていたことであろう。

わけても、コメ作りの生活が展開すると、風雨が時にかなって、

秋のみのりを保証してくれるのも、神のなせるわざとの思いが

強められる。この神は、祀るによって顕われ給い、顕われるこ

とによって、また祀られ給うものであった。神が天上から降臨



し給う聖域は、集落の近くにあり、樹木が生い茂った、うっそ

うとした高い山だとか、或いは、なだらかな山容をした美しい

山だと信じられていた。大岡山は、まさに大きな丘のような山

として、そのまるっぽい山の姿は、神が天降り給うと信じるの

に、うってつけの山であったわけだし、つるぎ(剣)の尖りに

も似た須留岐山の凸出部は、神が降り来る山の目印とも感じら

れていたことだろう。このような神の山は、また『カンナビヤ



マ』とも呼ばれていた。神鍋山−カンナベヤマ−は大岡山や須

留岐山と同じく、このカンナビヤマの一つでもあった。山には、

天降りました神霊がこもり鎮っている。この神霊は、この山を

神と見る山麓の人たちの祖先の霊でもあったのだ。やがて神が

降臨するカンドコロが、常設的に設けられると神社が成立し、

農村の生活と密着してくる・・・・とあります。



十戸には『式内  戸神社(とのじんじゃ、十戸神社とも』が



あり、樹齢百年以上の巨木(ケヤキ3本)がそびえる境内で、

落ち葉を拾い(この冬からですが)、亥の子(11月23日)

には餅まきが行われ、ワサビもお供えします。十戸の由来は、

昔、北部の山地からこの地に移住してきたとき、10戸余り

から始まったため、とあります。うちから田んぼの向こうに



見えるのが「小山」と呼ばれる小さな山、ここには「小山

古墳」(弥生時代が発展的に解消したあとに、古墳時代が

続く。その期間は、3世紀末ないし4世紀の初めから7世

紀までの約300年、日高町の古墳時代の遺跡は約700

を数える)があり、「カナベの里公園」になっています。

ここにも落ち葉がたくさんあります(来年から拾う)。



何でカナベだろう?と前から思っていましたが、父に

聞くと、『カナベ』というのはここの字名。うちから

は見えない神鍋山がここからよく見えます。